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2004年2月 8日 (日)

昭和からCDだったのかな

入院中ヒロヒトの病状をやたらテレビで見た記憶があるので、少なくとも1988年=昭和63年には認定されていたはず。
初めてエレンタールを飲んだのは1989年=平成元年12月のはず。
今年が平成16年というのを考えると...。

最初に入った病院は痔の治療で有名で、当時痔ろうがひどかったので当然のごとく行った。
高校3年の話。
しかしながら手術しても一向に良くならなかったのだな。
つらい中自動車教習所に通った記憶がある。
診断がついたのはそれから数年立ってからだ。
当時は若年者の痔はCDの証、というコンセンサスが浸透してなかったらしい。
行ったのが外科だったせいもあるだろうが。
今は大丈夫らしいが。
その後そこには2回ほど入ったが、せいぜい点滴をするぐらいで食事が出てたのだな。
で、川崎医大に変わって栄養療法だの絶食してIVHだのの経験をしたのだ。
当時はなんて人権無視な病院だろうかと思ったが、今では当たり前だな。
当時体重が40Kgぐらいだったと思う。
かなりの痩せ型。今の体型を知ってたらびっくりかも。
以来20年近く経過するが、2度の痔の手術に大腸を部分的にとったりと体重が増えた以外は大して良くなっていない。
IVHは一度気胸になってからは断っている。
宗教に走る人が出るのも分かるというものだ。
わしは左よりなのでそういうものは信じていないが。
どうも、次回の入院でまた切腹になるんじゃないかといやな予感がする。
前が2000年3月だ。丁度オリンピックの年だな。

バルーン拡張術はこんなの見ると2週間というのは間違いではないようだ。
やっぱり下剤がきつくて痛くて怖いみたいだ。
岡山大学に通院してて岡山県に住んでいるらしい。
バルーン 拡張 大腸 破裂で探すと無事破裂しちゃった体験記も出てくるが、リンクフリーに非ずらしいので探してみてね。

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